「なにしてんの」
「あ、起こしちゃった?」
「なにその起こすつもりは微塵もありませんでしたみたいな言い方。手ぇどけろや」
「えーー」

 自宅に帰ってから優斗と話をしてちょっと疲れたから寝ようと思ってソファに横になったところまでは覚えている。ちなみに優斗というのは私の可愛い息子だ。兎に角、その覚えている内容の中にこの男の存在はなかったはずだ。ぬるま湯につかったような、ゆるやかな眠りから無理矢理引き摺り出されて不機嫌になるなというのは無理な注文ってものだ。

 もう夕方ですよと言わんばかりに窓の向こうに広がるオレンジ色。二時間ほど眠りの世界にいたらしい。

 重い目蓋を一生懸命押し上げて睨みつけている私を無視し、さわりさわりと薄手の毛布を挟み込んだ足を撫でる奴の手は止まることなく、ストッキング越しに伝わるその感覚に気を抜くと子宮を支配されそうになって苛つく。これは私の意思とは全く持って無関係に起こる現象だからーーーだから何だというのだろうか。

「おい、いい加減にしないと潰すぞ」
「えー?だってさっき花菜ちゃん気持ちいいって言ってたしー」
「言ってない。語尾をのばすな気色悪い」
「酷いなーそれに言ってたってば、寝ぼけてたみたいだけど本心でしょ?」

 言って嬉しそうに、けれど目には剣呑な色をちらつかせたそいつはするすると膝を通り越し足首までその手を滑らせ始めた。触られるはずのない脊椎が疼く。誰だこの男を家に招き入れたのは。優斗しかいないけれどその肝心の息子の姿が見当たらない。

 15畳ほどのリビングはしんと静まり返っていて、だからこそ自分の呼吸音がやけに大きく感じられた。そういえばテレビがいつの間にか消えている。番組に興味はないがそこに出ている女性アナウンサーが好みでたまに見ているのだ。

「寝てる人間の言ったことを真に受けるなハゲ」
「俺禿げてないよ」
「うるさい今すぐ禿げろ未来永劫禿げてろ」

 ちょっとでも怯んだりくすぐったいという素振りを見せたらこの男は本格的に噛みつきにくるだろう。それを知ってるから動けない。抵抗されると燃えるとか、人間の男はメンドクサイ。ぞわぞわするから今すぐ右ストレートなりハイキックなりお見舞いしてやりたいのだが、こいつに拳が届いたことなど一度もなく、だからこんな風に声を出して気を紛らわすしかない。

 この男の名前は隼斗。年は29、だった気がする。息子はいるけどこいつは別に旦那ではない。そして私との関係は不倫とか浮気でもない、ここが一番大事。赤の他人ではないが友人だ。おそらく。そして私の大事な被写体でもある。そう、大事な被写体ゆえ扱いとか距離の取り方とか気をつけていたのに、こいつに通用した試しがない。他の子達はみんな良い子なのに。

「この足で挟み込んで逃げられないようにしたのはお前だろ?」
「いっ!…だから知らないってば、記憶にございませんすなわち事実ではないってことです」
「悪徳政治家みたいなこと言うなよ、萎えるから」

 指を立てて太ももを掴まれ皮膚と肉に痛みがはしる。何でも良いからさっさと引いて欲しい。とっとと萎えて欲しい。息が詰まるしまばたきも満足にできやしない。気分を紛らわそうとはあああ、と大きく息を吐き出したら「感じてるの?」とか馬鹿な質問が飛んできた。勘違いも甚だしい。というかいつからこんな事してるんだろうこいつ。聞きたいような聞きたくないような。

「いたい」
「痛くしてるんだよ」

 恋人に愛の言葉を囁くように甘ったるい声で言わないで欲しい。でもその顔は嫌いじゃない。

「何がおかしいの」
「別におかしくなんかないよ?」
「じゃあ笑うな」
「嬉しいから笑っちゃうんだよ、しょうがないでしょー?」

 私がスカウトした被写体の中でもずば抜けて扱いがめんどくさいこの男はめちゃくちゃ美形!とかカッコイイ!とかそんな事はないのだが、如何せん、私の感覚で選んで声をかけただけあって時折見せるこういった表情に弱い。細められた目許に色気があるっていうか、普段は全然そんな事無いのに柔らかく弧を描く口許が目を引くだとか、そんなものたちが私の写真撮りたい欲をかき乱してやまないのだからたちが悪い。

「カメラ持ってこい」
「…こんな時くらい写真のこと忘れない?」
「うっさい、あんた今すごく良い顔してるから撮らせろ」
「…あきらの被写体としては喜ぶべきなんだろうけど男としてはびみょーだなあ。あ、でも、花菜ちゃんとセックスするときにはすごく好い顔すると思うからどう?」
「ないわー」

 有り得ない。私はそんな事望んでないのだから、てかあんたはそんな顔を撮られることに抵抗感はないのか。兎に角さっさとカメラを持ってきて欲しい。今すぐ私から離れて欲しい。ついでに言っておくと、あきらというのは私がカメラマンとして活動するときに使っている名前だ。本名は花菜。似合わないってのは知ってる。

 そんな私だが、ちょっとだけ興味がわいたのは胸の内に秘めておきたい。これはカメラマンとしての性(さが)だ。被写体の一番魅力的な姿を撮りたいという、そんな感じのもの。でも、危ない橋は渡らないに限る。こいつのことだから、橋を渡ったら最後、橋を落とされて元の場所には戻らしてくれないだろうから。

 自惚れんなという人もいるだろう。そう、自惚れだったら良かったのに、そう的をはずしてないと思うのだ。それはこいつと知り合って六年という月日が物語っている。六年が長いか短いと感じるかは人によるだろうが、その間に私は三回の告白を受けている。勿論全部断った。今みたいなじゃれあいとは違う、ガチな感じの告白だった。それでも私達の関係は切れていない。それはひとえにこいつの粘り強さというかへこたれなさとか、私の狡さとかそんなんが見事にブレンドされて今の状態を作り出している。他の被写体の子達もそれを知ってるし、優斗もまた然り。

 今みたいに危うい時は何度かあった。それでも毎回やり過ごしたり乗り越えたりしてきたから今回も何とかなるんだろうと、他人ごとのように考え高を括っていた。

 もう少しだけ待って欲しい。

 そう、ちゃんと言葉に出すべきだったのだ。言わなきゃ伝わらないなんて、この年まで生きてきて知らないわけじゃなかったんだから。


彼女は三流映画のヒロインB


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殴り書き。シリーズになる。



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